ドラフト前に読んだシェーン・レイの手記が面白かったので紹介してみます。
自身の生い立ちと家族、ドラフトまでの話を書いています。
2015年の1巡指名選手で、一時はトップ5で消えるとも評価されながら、怪我とドラフト直前の過ちによって、ブロンコスの指名まで落ちてきました。
この2年間に計12サックを記録しており、今シーズンからは(デマーカス・ウェアの引退により)先発OLBでの活躍が期待されています。
The Murder Factory | The Players' Tribune
「嘘だね!」
道路に死体があったと言っても、いとこは信じてくれなかった。死体は20歳くらいの男性で、後頭部を拳銃で撃たれていた。
その時、僕は12歳だった。いとこが現場に行くと、近所の人々が集まっていて、警察がテープであたりを封鎖していた。
僕は祖母にそのことを話した。
「あばあちゃん、道路に死体あったよ」
「おまえ、さわったのかい?」
「いや、さわってないよ」
「そう、それならよかった」
それきり祖母は気にしていないようだった。彼女はキッチンを掃除しながら、手に持っている雑巾を置くことすらしなかった。
僕はそんな場所で母親と祖母に育てられた。ミズーリ州カンザス・シティ、郵便番号は64130、「マーダー・ファクトリー(殺人工場)」と呼ばれる地域だ。
正確な数は知らないけれど、この郵便番号の数字は、ミズーリ州に収監されている殺人受刑者数の20%くらいになるらしい。
僕はそこで18年間暮らした。
小さい子供が、自分の置かれている環境を理解するには時間がかかる。そこは僕にとってただのホームだった。少し大きくなって、友達が家に来るようになると、彼らはいつも同じことを言った。
「ここに住んでるの?」
そして、僕は友達の家に行った。そこは立派な道に囲まれ、きれいな芝生のある、レンガづくりの大きな家だった。自分の家に帰ると、僕は初めて近所に何があるのか気がついた。燃えた建物。廃品。麻薬常習者のたまり場。通りの角に立っているいかがわしい男たち。僕は理解した。
どうやら、ここはゲットー(貧民地区)らしい。
永遠に目をふさぎ続けることはできない。
ミドル・スクールが始まると、あらゆる物事が自分のまわりに積み重なっているようで、僕は怒りの感情をコントロールできなくなっていた。こんな地域で育つなんて不公平だと思った。そして特に腹が立ったのは、父親がいないことだった。
母親は、ひどい離婚を経験していて、僕たちは文字どおりすべてを失っていた。洋服や学用品すら買えなかった。やがて、僕たちは住んでいた家をも失った。
母親が働いている間、僕はあちこちのアパートを転々として、違う家族と一緒にいなければならなかった。 そして週末になると、母親が僕を迎えに来て、母の友達の家で過ごすのだった。
それは最悪の暮らしだったけど、僕はなんとか耐えていた。でも、13歳のある日、僕の親友でもあったいとこが強盗に殺された。その日を境に、僕の精神は完全に変わってしまった。
これが現実なんだ。用心深く生きていても、ここでは殺されてしまう。
僕はどちらかを選ばなければならなかった。悲しんで泣くか、怒りで強くなるか。僕は男だ。男は感情を表に出さない。男は戦うのだと思った。
そして、僕はケンカをするようになった。何度も停学処分をくらった。僕はいつも怒っていた。世界に対して。すべてに対して。
僕は完全な犯罪者にはならなかったけど、その一歩手前だった。僕が道を踏み外そうとするといつも、悪の道に染まって戻れなくなるその前に、家族が僕を連れ戻してくれた。
だけどそう、僕にフットボールを再開するように言ったのは、母親だった。僕は5年生の時にフットボールをやめていた。しかし、当時の僕には2つの物が備わっていた。夏の間に僕の身長は6インチ(約15センチ)も成長しており、あふれるほどの怒りを心に溜めこんでいた。
ある日、僕たちは話し合った。
それは短い会話だった。
「オマエはフットボールをやるんだよ。分かったね」
それだけ。
だから、僕は怒りとモチベーションを抱えて、フットボール場へと行った…
そして、僕は酷いありさまだった。デブでノロマで、いつもドベだった。練習中にはゴミ箱に嘔吐していた。3年ぶりにフットボールをやって、いきなり活躍できると思った自分が馬鹿だった。
だけど、チームメイトたちは僕の新しいブラザーとなった。いとこを失って、僕には彼らが必要だった。フィールドに出て競い合う、それは僕の性に合っていた。そして、僕にはまだ怒りが残っていた。その感情を練習とワークアウトに注ぎ込んだ。僕はその夏すべてをウエイトルームでの肉体改造に費やした。
8年生の時にチームメイトだった親友の多くは、私立の高校に進学した。だけど、僕たちには私立の学費を払う余裕はなかった。それで、僕の母親は何をしたか? 母は3つの仕事を掛け持ちした。
息子がストリートから離れ、友達とフットボールができるように、母は必死に働いた。そして、僕を信じてくれた。母親が僕に約束させたのはひとつだけ。母と同じくらい僕も一生懸命がんばることだった。
「フリー・カレッジ」母はいつもその言葉を繰り返した。「私たちががんばる理由。それは奨学金で大学に行くためなのよ」
「フリー・カレッジ」僕たちはお互いに語り合った。そして、その言葉は僕のモットーになった。ワークアウトをしながら、頭の中で何度も繰り返した。僕の決心はこれまでにないほど強固になった。
サーフモアのシーズンが終わる頃、僕はまだ名を上げることができずにいた。やる気を保つため、僕には怒りが必要だった。そして、それは簡単なことだった。僕はインターネットで自分のスカウティング・レポートを読んだ。
僕はrivals.comで3つ星の評価になっていて、それは言葉にできないほど僕をいらだたせた。僕は自分より評価の高い、4つ星や5つ星の選手をずっと見続けた。そこには16人の選手が載っていた。
「俺はこの選手よりも上だ。こいつよりも上だ。はるかに上だ。ふざけるな!」
「シェーン、さっさと寝なさい!」
すべてのレポートで、僕はスピードが遅く、腕が短いと書かれていた。なぜ僕がトップ・リクルートに値しないか、誰もがそれぞれの理由を持っていた。怒りは僕を次のレベルへと引き上げてくれた。
ジュニアになると、僕は守備のエンドとタックルをプレイして、155タックル、15サックを記録した。僕は自分の前に道が開けていくのを感じた。シーズンが終わった時、僕はミズーリ大学から電話をもらった。
フリー・カレッジだ!
ミズーリ大学に進学した時、3年後には大学のサック記録を更新して、NFLドラフトで指名されるよと教えてもらえてたら、どれほど喜んだろう。
まして、ドラフトのトップ5指名候補に名前が挙がるぞと言われたら? いやいや、冗談は勘弁してくれよ。
だけど、シトラス・ボウルに勝利して、ドラフトにエントリーを決めた頃、僕の前にはまさしくそんな道が開けていた。それはすぐ手が届くところにあった。問題はシトラス・ボウルで足を怪我したことだった。最初はたいしたことじゃないと思っていた。でも、怪我の状態はひどくて、コンバインを休むことになった。プロデイの時も状態は良くなくて、ワークアウトのタイムは最悪だった。身体は重く、足の痛みもひどかった。3コーン・ドリルのタイムは、ガードの数字よりも遅かった。
嘘じゃない。本当にガードよりも遅かった。
代理人は「指名順位が少し落ちるかもしれない」と言った。僕は信じたくなかった。いくらなんでも300ポンドのガードより遅いなんて、本気で考えたりしないだろう? 僕はミズーリ大学のサック記録を更新したばかりなのに?
そして、ドラフトの直前、僕は大麻の所持で捕まった。
あああああああ…
僕はやらかしてしまった。すべて自分の責任だ。僕は愚かな過ちを犯し、そのことを理解していた。だから、僕は最初からきちんと説明するように務めた。だけど、ひとつの過ちだけで、どれだけ多くの人が僕の人間性を決めつけてしまうのか、そこまでは理解していなかった。
僕はひどい記事を目にするようになった。
「シェーン・レイは悪い地域で育ち、大麻で捕まった。彼は何人殺しているだろう?」
きっと君は、大げさに言っていると思うだろう。だけど、僕は多くのチームから薬物売買や犯罪行為について、あらゆる質問を数えきれないほどされた。
代理人は「指名順位がまた少し落ちるかもしれない」と言った。
僕はがっかりした。これまでの努力、母が僕のために払ってくれた犠牲、すべてがバラバラに壊れてしまいそうだった。
僕はなんとか集中して、ポジティブでいようとした。でも本当に、本当に、ここまで来て母親をがっかりさせることだけは避けたかった。
ドラフトの日は、あらゆる感情に満ちていた。スタートは良くなかった。僕の計算では、ジャガーズ、ファルコンズ、スティーラーズから指名されるチャンスがあると予想していた。なぜならドラフト前、この3チームがもっとも僕に興味を持っていて、パスラッシャーのニーズもあったからだ。
僕はジャガーズのHCガス・ブラッドリーとたくさん話をした。だけど、ジャガーズは全体3位の指名権を持っていて、自分がやらかした過ちを考えれば、さすがに現実的になるしかなかった。
1巡3位:ジャガーズの指名は、DEダンテ・ファウラーJrだった。
(ダンテ、おめでとう。君には尊敬の念しかない。僕もジャガーズに指名されるとは思っていなかったよ)
僕はカメラの前でほほ笑み、冷静さを保った。母親は僕の隣にいて、感情を抑えるよう助けてくれた。それほど待つことにはならないはずだった。僕はファルコンズのHCクインともたくさん話をしていた。
1巡8位:ファンコンズの指名は、OLBヴィック・ビーズリーだった。
(わお、ここで指名されると思ってた。でも、ヴィックは良い奴だ。愛してるぜ)
だけども、僕はキレていた。それはどうしようもなかった。僕はドラフトまで毎日のようにファルコンズと話していた。そのうえ、友人たちからは「おい、アーロン・ロジャースは1巡の終わりまで落ちたけど、今では大活躍しているぞ」といったメールが届き始めていた。
そこから、さらに10人が指名されていくのを見送った。ひとり指名されていく度に、カメラが僕にズームして、怒りの表情をとらえようとしていることを知っていた。母は僕がいらだっているのに気がついていた。しかし、母はまったくの平常心だった。
「逃げ出そうなんて考えたらダメよ」
「もし22位までに名前が呼ばれなかったら、僕はここを出ていく」
もちろん、僕は指名された選手たちのために喜んでいた。彼らはみんな友人たちだ。だけど、これまでの努力や苦しみ、僕という人間、選手としてやりとげてきたこと、ハードワーク、それらと比べたら小さな、たったひとつの馬鹿な過ちが、一生懸命がんばってきたすべてを無にしていくのを僕は感じていた。
1巡22位:スティーラーズの指名は、OLBバド・デュプリーだった。
(マヂか? ここからステージに上がって、そのキャップをかぶってやろうか)
どうすればいいのか、分らなかった。僕にはマイクが付いていたので、それを剥ぎ取った。僕の席は、母親と祖母の間に挟まれていて、どこにも逃げることはできなかった。
もしかしたら、24位のカーディナルスから指名されるかもしれない。HCエリアンズとは少し話をしていたので、それが最後の希望だった。すると突然、僕の電話が鳴った。それはデンバーからだった。もっと詳しく言うならば、それはジョン・エルウェイからの電話だった。彼は「トレードでライオンズの23位指名権を獲得したので、今から君を指名する」と言った。
ブロンコスとはドラフト当日の朝までまったく話をしていなかった。そして、彼らと話した後でさえも、指名されるとは考えもしなかった。
そして今、ジョン・エルウェイが僕に電話をしている?
最初はまったく実感が湧かなかった。僕がブロンコだって?
その日を境に、僕の人生は完全に変わった。僕はチームに入ると、ボン・ミラーとデマーカス・ウェアというレジェンドたちから学び、1年目のシーズンにスーパーボウルで優勝した。僕は本当に幸運だった。だけど、僕のような子供たちが皆、同じような幸運に恵まれるわけではない。
ドラフトの時期になり、 僕は候補生たちについて考える。彼らの将来がこれで決まる。まったくクレイジーな話だ。
自身の経験から、僕には2つのメッセージがある。
若いドラフト候補生たち。僕のように馬鹿な過ちを犯すな。それが、どういう結果になるかはよく分かっただろう。
そして、NFLチームのGMたち。若い選手たちの一部は、本当に本当にひどい環境からやって来たんだと理解してほしい。 ストリートで過ごしていた者もいるだろう。もしかしたら、過ちを犯した者もいるかもしれない。だけど、たぶん彼らは、みなさんが想像もできないようなひどい物を見てきたはずなのだ。
僕は今でも時々、あの死体を思い出す。 そして、祖母の何事もなかったかのような反応、カンザス・シティで育つのはどういうことなのかを考える。
僕は本当に幸運だったのだ。
僕には家族の愛情と助けがあった。もしそれがなかったら、僕は死んでいたか、刑務所にいたことだろう。僕には母親がいて幸運だった。世界で一番強くて恐れを知らないハードコアな女性。マーダー・ファクトリーの真ん中で、母は僕みたいなデブでノロマで怒りに満ちた子供を、その手ひとつで育ててくれた。
母はすべてを犠牲にしてくれた。ただ純粋に僕を信じて。
.@Stingray56's #BroncosDraft moment?
— Denver Broncos (@Broncos) 2017年4月26日
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