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ブロ研 [ブロンコス研究所]

NFL DENVER BRONCOS について独自研究を行うブログ

なぜ私はジェイ・カトラーを指名したのか

2002年から2008年まで、ブロンコスGMを勤めていたテッド・サンドクエストの記事が面白かったので紹介してみたいと思います。

かなり長い記事なので、要点をまとめたものになります(ヘタクソです…)

 

QBジェイ・カトラーを指名した経緯と、その後に起きたこと、カトラーがトレード放出された時の裏話などが書かれています。

 

元記事

Why I Drafted Jay Cutler, and What Happened from There | Bleacher Report

 

 

なぜ私はジェイ・カトラーを指名し、その後に何が起きたのか

 

 

2005-06年、QBジェイク・プラマーの敗北

2005年シーズン、ブロンコスの先発QBは、移籍3年目のジェイク・プラマーでした。この年の成績は13勝3敗、ホームでは全勝。プラマーはキャリアベストとも言える活躍で、初の(唯一の)プロボウルにも選ばれました。

プレイオフでは前年王者のペイトリオッツに勝利。しかし、AFCチャンピオンシップではスティーラーズに敗れてしまいました。プラマーはその試合で2個のINTを投げました。圧倒的に強いホームで第6シードに負ける。この敗北はファンやメディア、コーチたちに大きな失望を与え、その後にも影響を残しました。

 

 

マイク・ハイマーディンガーの就任

2005年シーズン後、OCゲイリー・クービアックがテキサンズの新ヘッドコーチに就任しました。そして、入れ替わりにジェッツのOCだったマイク・ハイマーディンガーが、ブロンコスのアシスタント・ヘッドコーチに就任しました。ハイマーディンガーはシャナハンの長きに渡る友人で、大学時代のルームメイトでもありました。

上昇志向のあったハイマーディンガーは、自分の価値を高めてくれるQBを欲しており、QBプラマーを気に入っていませんでした。ハイマーディンガーは2000年から2004年までタイタンズテネシー)にいて、地元ヴァンダービルト大学のQBジェイ・カトラーをよく見ており、すぐにカトラーの獲得を推しはじめました。

 

 

スカウト

当時のブロンコスのスカウトたちは、QBカトラーを高く評価していました。強肩、クイックリリース、コンバインでの優れた数字、血統、タフさ、弱小校ながらSECトップの攻撃選手であり、ワンダリックテストで優秀な29点を記録。

カトラーの性格についても、グレイト・キャラクター、The BMOC(ビッグ・マン・オン・キャンパス=キャンパスの人気者)、競争心が強い、負けず嫌い、頭が良い、といったことが、多くの証言と一緒に、リポートに記載されていました。

コンバインでのインタビューも「大学で学んだもっとも大事なことは?」「常にポジティブであること」、「これまで何があなたを進歩させましたか?」「優れたコーチングとハードワーク」、「なぜプロ入りしたいのか?」「試合への情熱」といった応答で、態度に問題もありませんでした(今の評価とは違いますね)

GMサンドクエストたちは、あらゆる角度からカトラーを調査し、いくつか不安要素はあるものの育成可能であり、1巡指名に値する才能だという結論に達しました。ハイマーディンガーも同じく太鼓判を押しました。こうして、QBカトラーはブロンコスのドラフトボードで高く評価されることになりました。

 

ブロンコスは「Human Resource Tactics」という性格判断テストを使っていたそうで、その結果によると、カトラーの「メンタル・クイックネス(的確な反応ができる能力)」は飛び抜けていたものの、「セルフ・コンフィデンス(自信)」は平均並で、「フォーカス・アンド・ソーシャル・マチュリティ(集中と社会的成熟)」のスコアは気にかかるものだったそうです。

 

 

トレードアップ

ハイマーディンガーとGMサンドクエストがQBカトラーを評価する一方で、HCマイク・シャナハンは、USCのQBマット・ライナート にベタ惚れでした。

しかし、どちらのQBを指名するにしても、ブロンコスは29位からトレードアップする必要があり、チームには先発QBプラマーがいたので、 この時点では現実的なプランではありませんでした。

そして3月の終わり、ジェッツの新GMマイク・タネンバウムから電話がかかりました。ジェッツはプロボウル3度選出のDEジョン・エイブラハムを売りたい。ファルコンズは彼を買いたい。しかし、トレードがうまく釣り合わない。そこでブロンコスを含めた三角トレードが提案されました。

ブロンコスは1巡29位と3巡と来年の4巡を出して、1巡15位を獲得する。この順位ならポジションに関わらず、トップクラスの選手を指名できます。GMサンドクエストはこの提案を気に入りました。HCシャナハンもすぐにゴーサインを出し、こうして三角トレードが成立しました。

 

 

ドラフト

ブロンコスはドラフトまで一切の情報をもらさず、完全に秘密をキープしていました。ドラフト前の訪問さえも行いませんでした。

1位のテキサンズにはQBデイビッド・カーがいて、2位のセインツはQBドリュー・ブリーズを獲得したばかりでした。3位のタイタンズは、マクネアの後継者としてQBビンス・ヤングを指名しました。4位のジェッツはチャド・ペニントンの怪我もあり、QB指名の可能性がありましたが指名しませんでした。5位のパッカーズにはアーロン・ロジャース、6位の49ersにはアレックス・スミスがいました。7位のレイダースは最大の謎でしたが、QBの指名はありませんでした。

こうして、QBトップ3のうち2人が予想に反して8位まで残っている展開になりました。これはQBマット・ライナートを指名できるかもしれない、そう考えたHCシャナハンは、ここでトレード交渉の指令を出しました。

8位のビルズには「もう指名は決まっていて連絡中だ」と断られました。9位のライオンズ、10位のカーディナルスも同様に「もう指名する選手は決まっている」という答えでした。

  • 8位 ビルズ (Sダンテ・ウィットナー)
  • 9位 ライオンズ (LBアーニー・ミルズ)
  • 10位 カーディナルス ( QBマット・ライナート)

10位でQBライナートが指名されると、HCシャナハンは目に見えて狼狽していました。そんな中、11位のラムズから「3巡でどうだ?」という提案が出されました。バリューチャートでは50ポイントほどの損でしたが、これで将来のQBを指名でき、QBプラマーの控えとして育成することができます。シャナハンは少しだけ迷いました。

こうして、ブロンコスは1巡15位と3巡(68番目)を出し、1巡11位でQBカトラーを指名したのでした。

 

 

2006-07年、QBジェイク・プラマーの降格

2006年シーズン、QBジェイク・プラマーのブロンコスは7勝2敗というスタートでした。 しかし、HCシャナハンは守備が強いのに、攻撃が点を取れていないと、QBプラマーの出来に不満を持っていました(勝利試合は9対6、17対7、13対3、17対13といったスコアでした)。

第11週のチャージャース戦で第4Qに逆転負け(27対35)すると、「次のチーフス戦で勝てなければ、プラマーを控えに降格させる」という話が、チームから(おそらく意図的に)外部へと漏れたのでした。

そして、ブロンコスはチーフスに敗北、成績は7勝4敗となりました。HCシャナハンは会見でQBカトラーの先発昇格を告げました。しかしながら、カトラーは自力で先発を勝ち取ったのではなく、この決定はベテラン選手たちに不評でした。

ハイマーディンガーと攻撃スタッフたちは、カトラーのためにランを基本としたシンプルな攻撃を用意しました。次の2試合でランは合計343ヤードを走り、カトラーは4TDと2INTを投げ、チームは2連敗しました。そこから2連勝して、9勝6敗と持ち直しますが、勝てばプレイオフという最終戦に破れシーズンを終えました。そして、これがジェイク・プラマー最後のゲーム(引退)になったのでした。

 

 

2007-08年、QBジェイ・カトラーの2年目

2007年シーズン、プラマーというリーダーを失ったブロンコスの攻撃は、15得点以下が7試合、31得点以上が4試合と不安定でした。カトラーは20TDを投げ、14INTを喫しました。2年目のWRブランドン・マーシャル(現NYJ)が102回、1325ヤードと台頭し、新しいホットラインを形成しました。

カトラーはこのシーズン、27回のサックを受けていました。GMサンドクエストは、次のドラフトでレフトタックルの指名を検討していました。しかし3月中旬、サンドクエストは解雇されました。そして、ハイマーディンガーもまたタイタンズのOCに就任するためチームを去っていました。

 

 

2008-09年、HCマイク・シャナハンの解雇

2008年のドラフトで、ブロンコスはLTライアン・クレイディを1巡指名し、被サック数は劇的に向上しました。カトラーは4500ヤードを投げ、25TDを記録、プロボウルにも選出されました。3rdダウン、レッドゾーン、INT数などの課題は残っていましたが、この3年間でカトラーはコーチたちが期待したような成長を見せていました。

しかし、チーム成績は8勝8敗と満足できるものではありませんでした。そして、14年目のシーズン終了後、HCマイク・シャナハンはついに解雇されました。

こうして、カトラーの指名を実現させ、育成してきた3人、HCシャナハン、ハイマーディンガー、GMサンドクエストが全員チームからいなくなりました。また、カトラーと相性の良かったQBコーチのジェレミー・ベイツも、USCのHCに就任するためチームを去りました。

 

 

2009年、HCジョシュ・マクダニエルズの就任

QBカトラーは、HCシャナハンとOCベイツの離脱に不満を表明していました。

ブロンコスの新HCに就任した当時32歳のジョシュ・マクダニエルズは、すぐにカトラーと彼の代理人バス・クックに連絡して、密室でのミーティングを持ちました。 

そのミーティングで、新HCマクダニエルズは20分に渡って、いかに自分がペイトリオッツで成功し、ビル・ベリチックの右腕になったのか、自分がブロンコスのHCに就任した正当性を力説しました。

そして、マクダニエルズは突如として、カトラーに説教をはじめました。カトラーとその試合内容を激しく非難し、その口撃は数分続きました。代理人クックは「我々は帰らせてもらう」と席を立ちました。その帰り道、カトラーはクックに「どんな手を使ってもいい、俺をこのチームから出してくれ」と要請しました。

こうして、ジェイ・カトラーはその育成の半ばにして、ベアーズへとトレード放出されることになったのでした。

 

 

 

テッド・サンドクエストは記事の終わりで、ベアーズでのカトラーについても触れ、7年間で攻撃コーディネーターが5人代わっていることや、攻撃にサポートがなかったことなどが、その後の育成に影響したのではないかと指摘しています。

ベアーズでは即戦力として期待されたため、カトラーは弱小ヴァンダービルト大学で孤軍奮闘していた頃のQB(チームメイトの能力を信用せず、自分の能力に頼って無理投げして失敗する)に戻ってしまったのではないか、といったことも書いています。

 

 

カトラーのドラフト指名も、トレード騒動も、当時は驚かされましたけど、いろんな背景があったんですねえ…